2017年02月28日 09:00

全国の校歌・社歌を4時間演奏する「芥川也寸志の団体歌」4月16日に田端で開催。

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スリーシェルズは、グループ団体歌(代表:根岸一郎)による団体歌シリーズの第2弾として「芥川也寸志の団体歌」コンサートを行う。

スリーシェルズは、グループ団体歌(代表:根岸一郎)による団体歌シリーズの第3弾として「芥川也寸志の団体歌」コンサートを4月16日(日)に行います。

グループ団体歌の活動は、2016年1月に「日本の団体歌」としてスタートしました。作曲家の個人作品集としては「伊福部昭の団体歌」に続く企画となります。会場は芥川也寸志の生誕の地である「田端」スタジオ・アンダンティーノ(芥川龍之介旧居跡までは230メートル!)。コンサートとしてだけでなく、様々な趣向を凝らして、芥川也寸志の音楽、団体歌を楽しもうという企画となります。芥川也寸志ファン、芥川龍之介ファンならば逃せないイベントです。
事前連絡の上、楽譜をお持ち頂ければリクエスト演奏も検討致します。

2017年4月16日13時開演(12時45分開場)田端スタジオアンダンティーノ(芥川也寸志生誕の地)にて
芥川也寸志の団体歌
出演:盛田麻央、根岸一郎、河内春香、西耕一
チケット:一般2,000円、学生1000円(限定40人予約制)

https://www.3s-cd.net/concert/songs/akutagawa/

団体歌とは・・・。

団体歌とは、学校や会社、県や市や町など、特定の集まり・団体のために作曲された歌のこと。
校歌や社歌を代表として様々な団体歌がある。美しき郷土をたたえ、その向上、繁栄を歌う。
日本全国、その土地、その土地で愛される故郷讃歌とも形容できよう。
しかし、市町村合併や人口減少などにより消えゆく団体歌もある。「グループ団体歌」はこれらの保存のために結成された。今回は、芥川也寸志の団体歌を特集する。現在、入手できた全曲を歌う、休憩を含め四時間(予想)のマラソンコンサートである。

今回の特集作曲家となる芥川也寸志(1926-1989)は文豪芥川龍之介の三男として生まれ、日本作曲界をけん引した存在。『交響三章』『トリプティーク』等のオーケストラ作品、大江健三郎台本によるオペラ『暗い鏡』なども知られるが、『八甲田山』『八つ墓村』などの映画音楽やCM音楽でも幅広い人気を誇った。

その流麗な筆致による美しいメロディーや快活なリズム感覚は歌曲においても反映されている。
『小鳥の歌』の可愛らしく心癒される音楽は誰もが知る。日産自動車のCM曲として使われる『世界の恋人』や同じく森永製菓の『エンゼルはいつでも』も広く知られた曲である。そのようなメロディスト芥川が校歌や社歌を書くとどのような曲が生まれるか。グループ団体歌では、100曲以上存在する芥川也寸志の団体歌の楽譜を探索中である。
現在、約40曲の伴奏つき譜面を入手。伴奏なしのメロディー譜としては13曲を所有している。
今後も探索活動を続け、全曲を網羅することを目指している。

今回は、約40曲の伴奏つき団体歌を、盛田麻央(ソプラノ)、根岸一郎(バリトンマルタン)、河内春香(ピアノ)のメンバーによって演奏する(コンサート当日までに楽譜がみつかれば上演予定曲も増えます)。

上演予定楽曲、作曲年と作詞者

社歌・団体歌
JALマーチ(1964年、谷川俊太郎)
日産自動車社歌「世界の恋人」(1964年、野上彰)
東京ガス讃歌(1984年、谷川俊太郎)
ネグロス電工株式会社「山あるところ山を越え」(1987年、宮沢章二)
東京ロータリークラブ「いざ友よ」(1986年、星野哲郎)
鹿児島ナポリターナ(ホセ・しばさき)

・幼稚園

栄光学園/鳴海ヶ丘幼稚園、栄光八事幼稚園(岡田幸彦)

・ 小学校
新潟県長岡市立大河津小学校(片桐顕智)
群馬県前橋市立若宮小学校 (有川美亀男)
千葉市立稲毛小学校(1953年、松原至夫)
千葉県市川市立宮田小学校(1955年、西條八十)
埼玉県越谷市立蒲生小学校(下山つとむ)
東京都西東京(田無)市立谷戸小学校(1958年、宮田重雄)
東京都世田谷区立東玉川小学校(栗原源七)
長野県松本市立鎌田小学校(1957年、亀井勝一郎)
長野県松本市立島内小学校(1969年、臼井吉見)
信州大学教育学部附属松本小学校(1958年、臼井吉見)
京都教育大学附属小・中学校・高等部(伊吹武彦)

・ 中学校

青森県中津軽郡大浦村外二ケ村学校組合津軽中学校(現・岩木町立津軽中学校)(1952年、横山武夫)
宮城県気仙沼市立津谷中学校(1958年、水上不二)
気仙沼市立大島中学校(水上不二)
福島県石川町立石川中学校(栗原一登)
慶應義塾大学中等部の歌(折口信夫)
東京都墨田区立両国中学校(佐藤義美)
神奈川県箱根町立仙石原中学校 (谷馨)2008年閉校
愛媛県大洲市立大洲北中学校・南中学校 詞:小山龍之輔
(北中と南中は同じ学校が分かれて2つになったため同じ歌詞・同じ作曲の校歌を持つ)
京都府立洛北高校・洛北高等学校附属中学校(1957年、吉川幸次郎)

・高校

青森県立弘前南高等学校(小野正文)
山形県立寒河江高等学校(神保光太郎)
群馬県立高崎高等学校(草野心平)
東京都立井草高等学校(土岐善麿)
静岡県立修善寺工業高等学校(1957年、井上靖)2010年、統合により校歌変更。
岐阜県立東濃高等学校(1951年、花村奨)
岡山県立吉備北陵高校(楠田清毅)2008年に岡山県立高梁高等学校に統合
岡山県玉野市立玉野商業高校(戸田千年)
香川県立高松高等学校(河西新太郎)
徳島県立小松島高等学校校歌(後藤一郎)
鹿児島県立鹿児島女子高等学校(菅原杜子雄)

・大学

早稲田大学「早稲田の栄光」(岩崎巌、西條八十)
大阪社会事業短期大学(小野十三郎)1982年に廃止

以上。

これら団体歌の保存と普及を望む、我々の活動方針にそのまま当てはまる発言を芥川也寸志が書いているので、それを引用しよう。

芥川也寸志による校歌論(群馬県立高崎高等学校の校歌楽譜に掲載の文章より)
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いまの世の中はいろいろな音樂でうづまつています。
音樂を求める人々には、非常に高い知性をもつた藝術音楽を愛する人々と、一時的なの刺戟や低俗なものに満足してゐる人々とがあつてその中間がないのです。
このギャップをうづめるのが生活の歌だと思ふのです。
こうした意味で學園には、社会生活や家庭生活と結びついたその學校獨自なスクールソングがなければなりません。そこに學校音楽の本質があるのでせう。
校歌も単に儀式の時だけのものでなく、いつまでも若さを引き出してくれ、心を躍動させてくれるようなものが望ましいと思います。以下略。
(昭和32年 芥川也寸志)
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芥川也寸志(あくたがわ・やすし)

芥川也寸志は、芥川龍之介の三男として東京市滝野川区(現・北区)田端に生まれ、5歳上の長兄比呂志は、俳優で演出家、3歳上の次兄多加志は、フランス語を学んだが、南方戦線で24歳の若さで戦死した。多加志は、非常に文才のあった人で、龍之介も驚嘆するような感覚の持ち主だったという。多加志との思い出は、いくつかの著作の中で述べられている。  
自身が語っているように音楽の勉強を始めた時期がかなり遅く、体を壊すまでの猛勉強をし、1943年東京音楽学校予科作曲部に最下位で合格、在学中は、ウイーンで最新の音楽を学んだモダニスト橋本國彦に近代和声学と管弦楽法を、やはりウイーンに留学しF・シュミットが「日本のストラヴィスキー」と激賞したとされる早逝の作曲家細川碧と、ベルリンでヒンデミットに師事した下総皖一に対位法を学んでいる。
1944年、学徒動員で陸軍戸山学校軍楽隊に入隊、テナーサックスを担当するとともに、1級上だった團伊玖磨と軍楽隊用の音楽の編曲などを担当した。この経験が、芥川のオーケストレーションの技術、特に管楽器の使用法に十分に生かされているといえる。1945年4月、軍楽隊を首席で卒業、團は、成績は良かったが虱を沸かせて首席になれなかったと述懐している。
1945年8月、終戦により東京音楽学校に戻り、作曲科講師として招聘された伊福部昭と出会い、決定的な影響を受ける。伊福部とのエピソードは多々あり、有名なものも多いので省略するが、昭和24、5年当時の音楽専門誌を読むと、芥川を「伊福部の後継者」と評しているものもあり、これは卒業作品である『交響管弦楽のための前奏曲』(1947)等の作品の作風についてと、卓越した管弦楽法の技術についての双方からの評価であると推察される。 
ただし、伊福部音楽の直接的影響は、2つ目の管弦楽作品である『交響三章』(1948)で、すでに影をひそめ、進駐軍のラジオ放送で聴いたとされ、のちにより明確となる旧ソ連の作曲家-あるいはチャイコフスキーあたりまでを含んで広くロシア音楽かもしれないが-の影響がみられる。また、当時のラジオ放送で印象に残ったものとしてフランクマルタンの「小協奏交響曲」(1945)をあげている点も興味深い。事実上の出世作はNHK放送25周年記念懸賞募集管弦楽曲に團伊玖磨『交響曲イ調』とともに特賞入賞した『交響管絃楽のための音楽』(1950)である。
芥川の音楽を味わう場合、大きくおよそ10年ずつ4つに分けるのが妥当かもしれない。
第1期にあたる『交響三章』(1948)から『子供のための交響曲「双子の星」』(1957)あたりまでは、多少の違いはあるものの『弦楽のための三楽章』(1953)にみられるような、明確なリズムと和声、のびやかで美しい旋律を特徴としたものが多く、この初期の作品の魅力に惹きこまれて芥川音楽のファンとなったものも多いのではないか。この時期の特筆すべき出来事として、映画音楽への進出(1953「煙突の見える場所」)、團伊玖磨、黛敏郎との「三人の会」の結成(1953)、『祖国の山河に』(詩:紺谷邦子)にはじまる「うたごえ運動」へのかかわり(1953)、国交がなかったソ連への密入国と『交響三章』他の初演、出版(1954)。労音アンサンブルを母体としてはじまった新交響楽団とのかかわり(1956)があげられる。
第2期にあたる『エローラ交響曲』(1958)から舞踊組曲「蜘蛛の糸」(1968)あたりまでの期間は、作風が変化し、のびやかな旋律や明快な和声は姿を消し、親しみがたいといえばよいか、難渋な印象をうける音楽が多い。きっかけとなったのは、欧州旅行の帰途立ち寄ったインドの「エローラ石窟寺院」でうけた衝撃であり、この時期を特徴づける作品としては「弦楽のための音楽1番」(1962)無伴奏合唱曲『お天道様・ねこ・プラタナス・ぼく』(1958)、『ヒロシマのオルフェ(1967改訂)(原題『暗い鏡』(1960))があげられる。  
この時代は60年安保や、ベルリンの壁により東西の対立が激化してゆく時期であり、芥川自身も社会情勢に並々ならぬ関心を寄せていた。こうした社会背景も作風に影響を与えているものと推測する。
第3期は『チェロとオーケストラのための「コンチェルト・オスティナート」』(1969)から始まるが、第4期への以降を作品で区分することは難しい。第1期を思わせる明確な旋律やリズムが再び姿を見せるが、「コンチェルト・オスティナート」での独奏チェロが内面を静かに、時に激しく語るような表現は、第1期とも2期とも異なり作曲家としての円熟味を感ずる。また、明確なオスティナート主題とそれを背景にのびやかにうたわれる抒情的な旋律は、第1期に通じるが、オスティナート主題が整理され洗練されている。なお、この時期、TBSラジオ『百万人の音楽』(1967~1988)が始まっている。
第3期の作品では、ほかに『オーケストラのためのラプソディ』(1971)、『GXコンチェルト』(1974年)が同系列の作品としてあげられる。
第4期は、作風ではなくNHKの『音楽の広場』(1977~1984)が始まった1977あたりからとするのが良いかもしれない。このころより、團伊玖磨をして「文化のための壮絶な戦死」といわしめた、音楽の啓蒙活動や音楽家の権利を守るための活動、平和のための社会運動など、芥川の仕事を語るうえで外せない重要な仕事が増加してゆく。
1977年頃からはじまる音楽著作権保護のための活動、旧奏楽堂保存運動(1979~)、「反核・日本の音楽家たち」の運動(1981~)、サントリーホール(1986開館)、田園ホールエローラ(1989開館)建設のための助言、さらに、日本作曲家協議会会長、ヤマハ音楽振興会、サントリー音楽財団、日本音楽著作権協会の理事、宮城フィルハーモニー管絃楽団音楽監督、日ソ音楽家協会運営委員長などなど、芥川は多忙を極めていた。この中で、『八甲田山』『八つ墓村』(ともに1977)「鬼畜」(1978)等の映画音楽が作曲されていったのは、驚異というほかない。
特に前二者の壮大で華麗なオーケストラ音楽は、芥川のもっとも美しい音楽の一つといえる。70年代後半からは、子供のための音楽や「音楽の広場」での演奏を前提とした音楽も増えている。代表作としては、イタリア放送協会賞、エミー賞を受賞した『音楽と舞踏による映像絵巻「月」』(1981)、改作ではあるが、『オルガンとオーケストラのための「響」』、そしてなにより、完成させた最後の作品であり「伊福部昭先生の叙勲を祝う会」で演奏され敬愛してやまなかった伊福部昭にささげた『ゴジラの主題によせるバラード』(1988)は、芥川にしか書けない、いかにも芥川音楽といった傑作である。
絶筆は、鈴木行一が補作した『佛立開導日扇聖人奉讃歌“いのち”』(1988)であった。
最後に、筆者の好きな芥川の言葉の一つを引用する。
「人間は音楽なしには生きてゆけぬ。大きな悲しみに立ち向かうには、それに耐える歌がどうしても必要になるし、戦いに臨んでは勇気をかきたてる歌が、赤子を寝つかせるには子守歌がいる。人間が歌を必要とするということは、歌というものが、人間の一部を構成しているということでもある。」(第113回演奏会「新響と30年 芥川也寸志」(1986年11月)パンフレットより)文:清道洋一
プロフィール

盛田麻央(もりた・まお)ソプラノ

国立音楽大学声楽科卒業、同大学院フランス歌曲コース修了。二期会オペラ研修所第52期マスタークラス修了。修了時に優秀賞及び奨励賞受賞。明治安田クオリティオブライフの助成を受け渡仏後、パリ・エコール・ノルマル音楽院首席、及びパリ国立高等音楽院修士課程を満場一致の最優秀の成績で卒業。第17回日仏声楽コンクール1位、及び竹村賞受賞。第12回東京音楽コンクール第2位、第33回飯塚新人音楽コンクール第2位、第8回エレーナ・オブラスツォヴァ国際ヤングオペラコンクール第3位など数々のコンクールで入賞。オペラでは2011年東京二期会「ドン・ジョバンニ」ツェルリーナ役にて出演。
その他、「フィガロの結婚」スザンナ役、「魔笛」パミーナ役、「ジャンニ・スキッキ」ラウレッタ役、「ヘンゼルとグレーテル」グレーテル役、「ハムレット」オフィーリア役などで出演。2014年11月には、調布市民オペラ「椿姫」タイトルロールで出演、2015年9月には、首都オペラ「トゥーランドット」リュウ役を演じる。
またコンサートでは、ベートーヴェン「第九」、モーツァルト「ハ短調ミサ」「雀のミサ」「戴冠ミサ」、ブラームス「レクイエム」等のソプラノソロを務める。二期会会員。http://www.moritamao.com/

根岸一郎(ねぎし・いちろう)バリトンマルタン
武蔵野音楽大学声楽科、早稲田大学文学部フラ ンス文学専修卒業。パリ第IV大学修士(比較文学)修了。フランス音楽コンクール(大阪)、日仏声楽コンクール(東京)、アンリ・ソーゲ国際コンクールに 入賞。カミーユ・モラーヌ、中村浩子、川村英司、村田健司の各氏に師事。演奏活動は幅広く、特に精緻なディクションによってフランス近代歌曲での評価が高 く日仏声楽コンクール審査員を務める。ヴォーカル・アンサンブル・カペラ、ムジカ・センペンティス、カペラ・グレゴリアーナなど古楽アンサンブルメンバー として中世・ルネサンス音楽の分野で多くの演奏、録音に参加。 オペラへの出演も、カヴァッリ「ラ・カリスト」、グルック「思いがけない巡り会い」、ハイドン「騎士オルランド」、トマ「ミニヨン」、マスネ「マノンの肖 像」、プッチーニ「トゥーランドット」、ドビュッシー「アッシャー家の崩壊」、セヴラック「風車の心」、石桁眞礼生「河童譚」、三木稔「うたよみざる」、 青島広志「火の鳥(ヤマト編)」など、日本初演作を含んで多彩である。伊福部昭氏の作品には深く傾倒し、更科源藏詩の室内楽歌曲を中心に意欲的に演奏を重 ねている。日本フォーレ協会、コンセール・C、東京室内歌劇場会員、トロッタの会同人。

河内春香(かわち・はるか)ピアノ
岡山県出身。東京音楽大学大学院博士後期課程(音楽学)在学中。 これまでにピアノを山本百合子、野上登志子、水本雄三、草川宣雄の 各氏に師事。日本人作曲家の作品を中心とした演奏および研究活動をおこなっている。

西耕一(にし・こういち)司会・企画構成
日本の現代音楽評論と企画を専門とする。2004年より、日本作曲家専門レーベル・スリーシェルズにて、伊福部昭や3人の会(黛敏郎、團伊玖磨、芥川也寸志)を中心に演奏・CD化を行う。 これまでにNHK 、東京藝術大学、日本作曲家協議会、日本現代音楽協会等、放送局や研究機関の依頼による企画協力や、NHK交響楽団、読売日本交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京バレエ団、新国立劇場等のプログラム冊子執筆で評価される。 執筆雑誌は『音楽現代』、『音楽の友』、『邦楽ジャーナル』、『バンドジャーナル』、『New Composer』等。 近年の主な仕事として、セントラル愛知交響楽団による日本の管弦楽曲100周年企画選曲や東京フィルハーモニー交響楽団黛敏郎個展における論文のほか、『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社)や『黛敏郎の世界』(ヤマト文庫)の企画・編集、CD『松村禎三作品集』(Naxos Japan)解説などがある。 2014年伊福部昭の生誕100年を祝う「伊福部昭百年紀」シリーズをプロデュース、第3回、第4回「伊福部昭音楽祭」に関わる。2015年、「芥川也寸志生誕90年」「渡辺宙明卒寿記念」コンサートを行う。2016年には、「伊福部昭百年紀4」「黛敏郎個展」や日本合唱協会による「伊福部昭個展」(和田薫指揮)をプロデュース。オーケストラ・トリプティークと展開する「日本の作曲家シリーズ」では、日本の前衛音楽、近現代音楽、映像音楽をテーマにコンサートを行っている。
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株式会社スリーシェルズ
商号
株式会社スリーシェルズ(カブシキガイシャスリーシェルズ)
代表者
西 耕一(ニシ コウイチ)
所在地
〒110-0015
東京都台東区東上野1-14-5 ユーエムビル8階
TEL
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